賢い人は「聞く」と「聴く」の違いを理解している

2010/6/01

私は、1996年2月から、海外出張中でも現地から送信し、
毎月1回も欠かさず、この「兒玉語録」を書いてきた。
14年と5ヶ月になる。

そして、その都度ミーティングなどで、
その語録に込めた思いを、君達に話してきた。
ミーティングの時は、
いつも聞いている君達の目の光を感じながら、しゃべっている。

私の話を少しでも吸収しようと、
全員が食い入るような目で応えてくれている時は、
私も嬉しくて、熱を込めて話をしたくなる。
しかし、集中力もなく、真剣に聞いていないということが、
明らかに判るような者が
何人かいる時は、早く切り上げてしまおうと思う時も、
偶にはある。

「聞く」と「聴く」の違いについて

聞くの部首は門構えです。
門家の前を通りかかった。その家には門がある。
すると、門の内側から人の声や音が耳に入ってきた。
これが、「聞く」ということ。
聞こうとあまり意識しなくても、
自然と聞こえてくる様子を表している。
よく分からなかった事が、耳に入ってくる・・・
という意味もある。

聴くの部首は耳偏です。
「耳」は、お釈迦様の耳です。
長い耳のお釈迦様を仏像などでよく見掛ける。
あの長い耳は、人の話がよく聞こえるように、
長く大きくなっているのだそうだ。
だから「聴く」もそうです。
まずはしっかりと人の話に耳を傾けること。
耳をそば立てて、よく聞いて正しく理解する、
それが、この「聴く」です。

そして、もうひとつ。「聴く」の字には、
「心」という漢字が使われている。
これは、心を働かせてしっかり聴くという意味です。
「どんな話をしてくれるのかな」
「どんな意見を言ってくれるのかな」
「僕の考えと同じところがあるぞ」という具合に、
心を働かせ、気くばりをして、
一生懸命吸収するべく集中して、
指導者に対しても、先輩や同僚を大切にするのと同じように、
「聴く」ことが大事です。

「耳は2つ、口は1つ」だから、
人と人とのコミュニケーションは聴くことが、
しゃべることの2倍は重要で、
「よく聴く」という姿勢をしっかり磨いていかないと、
どの分野でも成長することは難しいのである。

賢い人は、自分の間違いに早く気付く。
だからどう間違っているのかを、
具体的に理解しようとする。
理解できれば、改善の糸口が見えてくる。
こうなれば、解決は早い。
愚かな人は、自分が間違っていることに気付かない。
間違っているのに、自分では正しいと思い込んでいる。
間違いをそのまま続けて、大きな失敗をして、
自分のやってきたことが間違いだったと気付く。
気付けばいいが、反省もしないで、
そのままずるずると同じことの繰り返しをしている。
こういう人は、残念ながら救い難い。

賢い人には知恵がある。
愚かな人には知恵がない。

知恵とは「学ぶ」ことだ。
優れた人や、正しいやり方から学ぶ。
知恵とは、学ぶことだけではなく、自分自身の中から、
より良い考えを生み出す力である。
その場その時に最高の判断と決断ができる。
これが賢者の知恵である。

賢い人は謙虚であり、辞を低くして、人に対しても、
何事に対しても向かっていく。
自分の腹の中を空っぽにして、私心なく人に対する。

作家の吉川栄治さんの言葉に、「我以外皆我が師」という、
心に染み渡るような名言がある。
要するに、どんな人からでも、
何かを学び取ろうという気持ちを失わない謙虚さ、
「もしかしたら、自分の考えは間違っているかもしれない」という、
心の幅と厚みを持つこと。
こういう謙虚な心が大切である。

真剣に集中して聴いた、その結果自分の知識が増えた、
それを自分の成長を生み出す力にして、知恵に昇華させた。
それからが重要である。
その知恵を駆使して、考え方をまとめ決断し、目標を決めた。
そして具体的な計画を立てた。
これからが、さらに重要である。
その計画を「強い思い」をもって、行動に移し、習慣化する程、
継続して実行することである。

80~90の努力は誰でもやれるが、
そこからの努力が大変だし、
最後の最後にほんのちょっと手を抜いただけで、
成果は0になってしまうのである。