集中して打ち込んだ期間は必ず活きる(児玉が卓球を始めた動機 中興の祖 津内口 弘志)
成功というのは99%の失敗に支えられた1%から芽が出るものである。
何ヶ月も何年も前に一生懸命努力してきた技術が忘れた頃に芽生えてくることがある。
精神力を強化し、体力トレーニングを重視して
自分でもびっくりする程、技術の限界が伸びてきたという経験は、
ある程度のレベルに達した選手は必ず経験すると思う。
いろいろなことに挑戦して、中々芽が出ない。
しかし再挑戦することを断念してしまったら、その失敗は永久に芽を出すことはない。
失敗や挫折は自分の意思に反して一方的に起こる。
それは受動的なものだけど、その失敗や挫折に対する反応は、能動的なもので、
自分の意志で決めるものです。
それをどう受け止め、どう対応し、何をやるかによって
その後の人生は大きく変わるのである。
私が卓球を始めたのは高校へ入学する春休みからである。
中学時代は野球部で、水泳・テニス・バスケットなどの試合があると
我々が出場して大会に参加していた。
それがあるキッカケで卓球に興味を持った。
その当時は、娯楽が余り無かったので、東京の町中にいっぱい卓球場があったが
いつも混んでいた。
1回負けると、1時間くらい順番が回って来ない。
卓球台から離れたくないから必死で闘い、気が付いたら朝から夜遅くまで
毎日夢中で通っていた。
すっかり卓球の魅力にひきこまれ、高校で卓球部に入り、2年生の頃から
全日本ジュニア・インターハイ・国体などの東京代表となって
全国大会に参加するようになった。
中学時代がむしゃらになって色々な競技をやり、鍛えた足腰が基礎体力として大いに役に立ち
短い年月で、卓球に活かされ戦績に影響を与えてくれたと思う。
それから、希望に燃えて明治大学に入学したが、監督の顔もほとんど見たことがないくらい
指導者に巡り会うこともなく、独力でやってきた日々が続いた。
しかし、大学2年の終わり頃、大きな転機が訪れた。
私の一年先輩で津内口弘志(愛称ツナさん)さんがキャプテンとなり
卓球部の空気が全く変わった。
ツナさんは明治大学卓球部を強くするために、妥協を許さず、全部員に厳しい訓練を強いた。
特に私に対してはすさまじい迫力で、
「児玉が強くならなければ、明治は強くならない」と言って徹底的に鍛えられた。
海岸の砂浜でウサギ跳びのリレー競走をやったり、フットワークは相手を何人も変えて
毎日平均1時間半位行った。私も頭がカッカとして「止めろ」と言われても止めずに
2時間以上休みなしでやって意識がもうろうとなっても続け、ぶっ倒れて
バケツで水をかけられ意識を回復する、といったような経験もした。
当初はツナさんの厳しさを恨んだりしたが、そのお陰で
私は精神力の面で成長し、勿論、体力・忍耐力・胆力・勝負強さなどが培われた。
その年の暮れには世界選手権大会の日本代表に選出され、活躍することが出来た。
彼は私の人生に大きな影響を与えてくれた。
まさに津内口弘志という男はそれまでの卓球部の状況を一変させ、卓球の道を究めるための
鍛錬の重要性を叩きこんだ明治大学卓球部の中興の祖である・・と私は認識し、後世に伝えたいと思う。
チャンスは、いつ巡ってくるかわからないものだ。
これは時間や空気と同じように大なり小なり、誰にでも平等に巡ってくる。
しかし、いざチャンスが来たときに何も準備ができていなければ
折角のチャンスを活かせずに取り逃がしてしまったり
或いはチャンスそのものがあることに気がつかなかったりする。
「いざ」というときのために日頃から準備に準備を重ねておく。
目の前のことに、常に全力で取り組む。
それがチャンスを自分のものにしていくためには重要なことである。
「自分の未来は自分が決める」ということは以前にも話したことがある。
自分で目標をもって計画を立てて実行に移す。
しかしその計画がうまくいかなくなったときに、「ついてないな」「まあいいか」などと
簡単に計画を変えてしまう人は結構多いものだ。
未来は一つひとつの計画を実現させ、積み重ねた結果だ。
自分の計画を達成してこそ未来がある。
「何が何でもやり遂げよう」と踏んばって計画を成功させる。
そうした実行力が自分の未来を築き上げるのである。