考える鉄人 室伏 広治選手 (ハンマー投げ)に学ぶ
室伏 広治氏(28)は日本人に最も不向きといわれたハンマー投げで世界最強と
呼ばれるようになった。
父親重信氏は同じ種目でアジア大会五連覇を果した「アジアの鉄人」。
身長187センチで体重97キロ。堂々とした体格だが、体重、パワーが武器となる
ハンマー投げの世界では軽量に属し、ハンディは大きい。
「世界のトップクラスの体重は110キロを越えています。ハンマー投げは
直径2.135メートルのサークル内で回転し、16ポンド(7.257キロ)の鉄球を約120㎝のワイヤもろとも放り投げる競技ですが、瞬間、体に400キロを越える負荷がかかります。
それに耐える筋力と体重はどうしても必要なんです。」
「それを補うのが回転スピードと技術ですが、身につけるには
日々の地道な練習しかありません。苦しいこと、退屈なことの繰り返しですが、
どれだけ耐えられるかがカギを握ります。」
奇跡をもたらしたきっかけは、3年前のシドニー五輪の挫折だった。
直前は絶好調。
予選も三番目で楽々通過したが、結果は九位。
「鉄人二世」はこの屈辱を機に一回りも二回りも大きくなった。
「多分、五輪は特別という考えが潜在的にあったんでしょうね。
日本選手は強い人がいると目をつぶったり、彼より自分は強いんだ、
と無理やり信じようとしたりする傾向があります。そういう心境になったらもうだめ。
ハンマー投げの一連の動作にへんな思いが乗ってしまう。」
「そのあとからですね。好きでハンマー投げを始めた初心に戻ろうとしたんです。
あのころ考えていたのはどうして遠くに投げるかだけ。メダルとか優勝とか見返りを
期待しないで一投にどれだけ全力を出せるかだけを考えるようになりました。」
「それで負けたら相手が自分よりもっとすごい練習をしたからだ、と思えるようになりました。ライバルをたたえることができて初めて自分が生かされるということに気付きましたね。
コンスタントにいい成績が出せるわけじゃありません。練習も含めその時、その時に
全力を尽くす。その当り前の課題を当たり前にこなせるかどうか。
考えることはただそのことだけです。」
始めてのスランプを抜け出せたのは日本のやり投げの第一人者、
溝口和洋氏との出会いだった。練習量のすごさに驚き、
限界を勝手に設けている自分に気付いた。
「ちょうど広島アジア大会の前です。溝口さんから一緒に練習をやらないか、
と誘ってもらったんです。自分もワラにもすがる思いでしたから飛び付きました。」
「驚いたのは溝口さんの練習量。半端じゃない。
はたと気付いたのは自分でここまでしかできないという限界を設けていたこと。
そういったものを突き破る必要性を痛感しました。」
「それからですね。練習量は一気に増えました。六時間続けてウエートトレーニングを
したあとハンマーを投げにいくんです。もちろん筋肉は疲れて体は動かない。
でも意外ですがハンマーは飛んでいく。ウエート練習もくたびれてくると普段とは
違う筋肉も使うようになり、結果的に全身が鍛えられる。」
練習を自主的にしかも積極的にやるようになった。
1998年4月。不滅といわれた重信氏の日本記録(75メートル96)を14年ぶりに破った。父が金字塔を打ち立てたのは38歳。広治氏はまだ23歳。
「その年の春、元世界王者のアブドワリエフの故郷ウズベキスタンを単身、訪ねて一緒に高地トレーニングさせてもらったんです。彼とは波長が合いました。自分の情熱を
すごく買ってくれて熱心に教えてくれたんですよ。」
いつ記録が出てもおかしくない状況だったのですが、なかなか超えない。
だからやはりその一瞬はうれしかった。
「誰もが超えようとして超えられなかったわけですから。身が引き締まる思いでしたね。
これで本当の勝負が始まる。厳しい戦いに突入したという気持ちでした。」
(日本経済新聞より抜粋)