私の自己教育法

2020/8/01

私は自分で自分を 褒め、怒り、笑い、泣き、叱る…ことにしている。
それはきっと自分の性格や個性を知り尽くした上での、自己教育法につながるのではないか…と思っているからです。

「兒玉さんはいつも元気ですが、何か秘訣はあるんですか?」 とよく聞かれる。

「僕だって元気がない日はありますよ。むしろそっちの方が多いかもしれません。
だけど、私は自分の元気を取り戻す方法を知っているんです。
それは自分で自分を褒めるんです。
ですから普段はどんなに失敗しても、どんなにけなされても「お前はよくやっているよ!」 と、励ますことにしています。
他に誰も褒めてくれる人はいませんから。

考えてみれば今の時代、本気で褒める人も、本気で怒る人も、本気で泣く人もいなくなったような気がするから、
僕は僕に対して本気でありたいですね。」

内気なら内気なりの教育法。
話し下手なら、それなりの方法論がある・・・と思っています。

私も昔は話下手で、大事な人の前に出ると顔が赤くなって、思ったことも話せなくなるような人間だった。

だけど今は、講演会などで700名でも800名でも、参加される人が多ければ多いほど、やる気が出て
2時間でも3時間でも参加者の皆さんが飽きないような話を話し続けることが出来るようになりました。

そのきっかけは、25歳で明治大学卓球部の監督となり、26歳の時 関東学生卓球連盟の理事長が病気を患い、
急遽 私が、理事長の重責を担わなければならない事態となったことです。

その初仕事が、関東学生卓球リーグ、開会式の挨拶だった。
人前で話すことが苦手な私は 頭が真っ白になったが、
やらざるを得ない事態になったのだから逃げていても仕方がない。
よしやろう!と決心して、当たり前の挨拶の中に何か一つ選手の役に立つような話を付け加えて話をしよう…と思い、
原稿を作った。

本番では200名以上の選手や役員関係者が参加する開会式ですので、どうせ上がってしまって選手の顔も、
見えなくなるだろうから、徹底的に原稿を暗記するしかない…と思い、一点に目を合わせ、間(ま)を作って、
丸暗記することに努力した。

開会式が終わった後、卓球界の大先輩が寄ってきて、
「兒玉君、君の挨拶よかったね。君があんな挨拶ができるとは思わなかったよ。これからも願晴りなさい!」
と言って去っていった。
その言葉が今でも忘れられない。
自分は感じていなくても、多くの目(視線)が黙って自分に注がれているということを知った驚きと喜びで、
胸が熱くなったことを覚えている。

それ以来、私は常に背中を見られているという思いで、仕事はもちろんのこと、
“何事にも打ち込んで、集中してやれるようなクセ”がついた。
あの言葉が、今日まで私を育ててくれたように思う。

自分で想像するより可能性は無限なのでしょう。

とかく見えるものだけが自分の領域と考えて、小さな世界を築きがちだが、背中にはもっと違う大きな未来が
隠されているのではないか。

見えないだけにもっとでっかくて計り知れない夢と希望が満ち溢れているに違いない。

どんな時代になっても、温かい眼差しを持った人たちが、いつでもどこにでも大勢いて、
力強く後押ししてくれていることを忘れないことだ・・・。と、つくづく思う今日この頃です。