山中教授のノーベル賞受賞に学ぶ
児玉語録12月号『山中教授のノーベル賞受賞に学ぶ』
今年も師走を迎えました。
自分の立てた目標と計画に対してどのように
成果を上げられたかを振り返り、締め括りの一ヶ月を
どう過ごすのかは非常に大事なことです。
今年は世界各地で国家元首の交代(日本の将来を占う総選挙は12/16)、
EU発の経済不況、天変による災害、スポーツ界では
ロンドン・オリンピックと大きな出来事が続きました。
その中で我々日本人にとっては嬉しくて大きな明るいニュースが
山中伸弥先生のノーベル生理学・医学賞受賞のニュースでした。
様々な種類の細胞に変化できる
iPS細胞(人工多能性幹細胞)とは、皮膚などの細胞から作製し、
体のあらゆる細胞や組織に成長できる性質を持ち、
患者に移植すれば病気やケガで失われた身体機能を回復させる再生医療に
役立つと期待されています。
山中教授は06年に世界で初めてマウスの皮膚細胞からiPS細胞を作りました。
iPS細胞は受精卵のように体のどんな部分にも再び育つとのこと。
皮膚などにいったん変化した細胞が、生まれた頃に逆戻りするという発見は
生物学の常識を覆して、世界を驚かせました。
これは、受精卵を壊して作る胚性幹(はいせいかん)細胞(さいぼう)(ES細胞)と違い、
倫理面からも、特に欧米社会で高く評価されたのです。
山中教授の報告以降、世界中の研究者がこぞってiPS細胞研究に参入し、
再生医療の研究競争が激しくなっているのが現状です。
サルの実験ですが、iPS細胞が脊髄損傷やパーキンソン病の治療に役立ったとする
成果も相次いで報告されています。
私の家内もパーキンソン病を患っていますので、
1日も早く良い治療法が現実化出来ることを
待ち望んでいます。明るい光明を見出した気持ちです。
iが小文字なのは「多くの人に研究に親しんでもらえるよう、
米アップル社の携帯音楽プレーヤー『iPod』を意識して」
山中教授が命名したとのことです。
山中教授は、学生時代に柔道で、10回以上骨折したことから、
スポーツ外傷の患者さんを治療する専門医になりたいと思い
整形外科を目指しましたが、研修医時代は指導教官の足手まといとなり、
山中をもじって“ジャマナカ”と呼ばれていたという。
医療の現場で全身の関節が変形して苦しむ重症のリウマチ患者に接し、
どうしてあげることもできない現実に直面し、
基礎研究を究めればたくさんの人を救えると思いその道に進んだ。
無名の山中さんの部屋は狭くて、研究費も最初はわずか数百万円。
学生達3人の、小さな研究室から、世界的な研究は始まった。
朝9時の実験開始時間に少しでも遅刻すれば、最低30分は説教する。
夜の研究室では折にふれ鍋を囲み、ビールを片手に、
「成功すれば大勢の患者さんを救える」と熱く語っていたという。
妥協を許さず、「相手は世界」と言い続け、業績をたたえられれば、
「まだたった1人の患者さんも救っていない」と臨床応用への熱意を語ってきた。
この春は京都マラソンで完走をすることで寄付を呼びかけ、1000万円以上を集めた。
研究のためなら何でもやる、という強い信念が伝わってくる。
山中教授も整形外科の臨床医を志し、挫折している。
うまくやれれば20分の手術が2時間かかったというから、
よほど不器用だったのでしょう。
先輩の医師から“ジャマナカ”というあだ名までつけられ、臨床医になる夢に破れて、
研究医に転身し、iPS細胞というすばらしく人類の未来に役立つ研究を成し遂げたのである。
これからも、iPS細胞を益々発展させるための挑戦はさらに続いていくことでしょう。
人間は挫折の連続を乗り越えて成長していくのです。
挫折をしたとき、それを踏み台にして、更に意欲を持って努力するか、
挫折に負けてヤル気を失ってしまうか、これが大事な分かれ目です。
250兆分の一の人間として選ばれ、幸運を背負って、この世に生まれてきた私達は、
自分の人生をもっともっと明るく前向きに挑戦し続けなければいけない━ということを
山中教授から教えられました。
心の底から感謝、感謝です。