自分の「価値」に気づき 「努力の楽しさ」を知ろう
『自分の「価値」に気づき 「努力の楽しさ」を知ろう』
(桑田真澄著 「心の野球」に学ぶ)
私は中学生の頃、野球をやっていたが、卓球を初めてから卓球以外の
競技には関心を持たなくなった。
ただ、野球の長島茂雄、王貞治、イチローや柔道の山下泰裕、
アイススケートの清水宏保、女子マラソンの高橋尚子選手らの
アスリート達については、どのような「心」でどのような訓練を
してきたか興味を持って勉強してきた。
先般ある人と話をしていて野球の桑田真澄が書いた「心の野球」
という本を紹介された。
私は桑田選手の名前は聞いたことがある程度で余り関心がなかったが、
その本の内容について聞かされ、興味を持ったので、買って読んでみた。
驚くほどすばらしい内容だった。 君達にも是非一読の価値はあると思う。
本の一部を紹介しよう。
努力は量ではなく質である。
短時間で、効率的、合理的に積み重ねてこそ成果がある。
そして、「表の努力」と「裏の努力」を
両立できてこそ、努力は報われる。
中学に入って、授業に集中するようになって努力する楽しみを覚え、
それが野球にも活かされるようになった。
この中学時代の経験が、「努力の楽しさ」を教えてくれた。
○ やればやっただけ成果が出る。
○ 努力は重ねた分だけ結果が出る。
○ 努力は楽しまなければならない。
中学で努力の楽しさに気づけたことが、最終的には僕の野球人生にとって、
とても大きな意味をもつことになった。
僕は体が小さい、絶対的な決め球もない、では、なぜ甲子園で20勝し、
日本のプロ野球で173勝をあげることができたのか。
振り返ってみると、僕にはひとつだけ「才能」があった。それは
「努力をするという才能だ。」
自分の素質、才能などたいしたことはないと思っていたから、
試行錯誤して、努力 努力 努力を積み重ねてきた。
そして、その努力の特徴が合理的、効率的な短時間集中型だった。
プロ野球選手となってからも怪我をしたら意味がないので無茶な努力は
しなかった。その代わりに、23年間、毎日毎日「50回のシャドウピッチング」
を必ず続けた。時間にしてみたら1日10分~15分。
もちろんきつい練習もしてきた。 けれども練習は決して量ではない。
ピッチャーの僕が甲子園でなぜ6本の本塁打を打てたのか。
バッティング練習は余りしたことがなかったが、それこそ効率的にやった。
それは1日たった「50回の素振り」だった。ただ、これは試合を想定して
真剣にやった。人間は500回も1000回も全力では振れない。そんなに振れば
手抜きをせざるを得ない。
つまり、脳や身体が手抜きを覚えてしまう。
高校1年の大阪大会4回戦で初の先発を指名された。
野球の神様は、努力する人に降りてくる。決して卑怯な真似や手を抜いたり
する人のところには降りてこない。
普段のちょっとした行いや気持ちのもち方をきちんと見てくれていて、
野球の神様が目に見えない力を与えて、助けてくれたのだ。
そうとでも解釈しなければ、春先に投手失格の烙印を押された僕が
完封勝利をおさめられた理由がわからない。 今でもわからない。
その勝利を境に、僕はエースとして甲子園に5回出場し、優勝2回、
準優勝2回、ベスト4、 1回と「野球の神様」は驚異的な成績に
導いてくれた。
これは「実力がある」というよりも、何か見えない力が働いているとしか
考えられない。
いま思えばこれはきっと日々の小さな積み重ね、「努力の結実」なのだ。
「表の努力」と「裏の努力」を説明すると
「表の努力」というのは、ランニングや、ピッチング、要するに
技術・体力をつける練習のこと。
「裏の努力」というのは、トイレ掃除や、グランドの草むしり、
挨拶や返事、ゴミを拾うこと、靴やスリッパを揃えること・・・
野球とは全く関係のない努力。
もちろん、裏の努力をしたからといって、野球が上達することはない。
それでも、人の見えないところで「善い行い」をすることは
「運」と「ツキ」と「縁」を貯金してくれると僕は信じている。
表の努力が全てではなく、目に見えない裏の努力も含めて、
その人の実力になると思う。
絶対的な実力がある人はそれで戦えばよい。しかし僕はすごい実力が
あったわけではない。表の努力で技術と体力をつけ、裏の努力で
「運」と「ツキ」を貯金して、
表と裏をバランスよく両立させて、結果を残してきた。
気持ちの切り換えは非常に大事だが、なかなか難しいことでもある。
そのためには、小さなことでいい。行動を起こすことでエネルギーが
動き始め、自分を変化、成長させる大きな一歩となる。
自分の中に幸せを見つけ、自分の価値に気づき、それをさらに高め、
成長させていきましょう。