古橋広之進のご冥福を祈り、スポーツ活動の原点を学ぶ
昨年の秋、スポーツ界では初めて文化勲章を受賞された、
水泳の古橋広之進さんが、8月にローマで行われた
世界水泳選手権大会の開催中に急逝された。
古橋さんは、昭和22年(1947年)戦後初の
全日本水泳選手権大会において、自由形の中・長距離で
世界新記録を樹立した。
当時は、食料難のため、サツマイモ、カボチャなどを主食にしながら、
犬や猫やガマガエルまで食べていたという。
1948年のロンドンオリンピックには、敗戦国日本は参加出来ず、
その翌年の1949年の全米水泳選手権大会に参加し、
400m、1500mで驚異的な世界新記録を連発し、
“フジヤマのトビウオ”という異名を取った。
その時、私は中学生の頃だった。夜中にふとんの中で
その実況放送を聞くためラジオにしがみ付き、
古橋さんの活躍をワクワクしながら聞いていた。
敗戦直後で打ちひしがれていた日本人の心を
どれ程鼓舞してくれたことか計り知れない。
全国民に希望と勇気を与えてくれたのである。
以前、私が日本体育協会競技力向上委員を務めていた頃、
いろいろご指導を頂いた頃が懐かしい。
古橋さんは、「魚になるまで泳げ」という言葉を残しているが、
これは「集中した努力を続けるため、
自分は魚になったつもりで泳いだ」ということと解釈している。
10/15に行われた「お別れの会」で、選手代表の北島康介氏は、
常日頃、古橋さんは
「人から尊敬され、愛される選手になって欲しい。と、おっしゃっていた。」
「水泳に取組む者すべてが、この言葉を忘れてはいけない。」
と弔辞を締め括った。
人間の文化の向上に寄与するため、
スポーツ界が果たす役割を再認識し、
たゆまぬ努力を継続しなければならないと、確認することができた。
10数年前のことになるが、部品加工の職人さんと話す機会があり、
その時にその方はいろいろな会話の中で、
「3年先のことを考えて仕事をしているんだ」という言葉が出てきて、
私は「スポーツの世界でも全く同じです」と言って
話が盛り上がったことがあり、忘れられない思い出となっている。
現状に満足することなく、3年先には
どんな進んだ技術が求められるか、
自分の技術の目標をその3年先において今、
日々の物作りに取組んでいるんだ・・と言われていた。
相撲の世界でも「3年先の稽古」という言葉がある。
「今日、明日とか1週間位やったって、すぐに力はつかない。
毎日、毎日稽古を積み重ね、3年位で貯金が出来て、
本当の相撲が出来る」といいます。
ことわざにも「石の上にも3年」というのがある。
どんなに辛いことがあっても、耐え忍んでいれば
報いられる・・・という喩え。
3年先を考えてトレーニングに励む、3年間願晴ってみる。
今の訓練を意味あるものにするためにも
「3年先」のことまで考えておく。
私は常日頃、
「人生には目をつぶって、自分を忘れ、
夢中になって願晴るしかない時期がある。
3年間無我夢中で、その道に没頭してみなさい。
そうしたら、その習慣が習性となり、その後の人生が必ず開けてくる」
と耳にタコができる位、力説している。
自分の描くイメージが自分の中で確実に
実現できるようになると心から喜びを感じ、
楽しむことができるようになるものです。
古橋広之進さんの死を悼みつつ、原点に戻り、
基本の重要性を再認識するキッカケを頂いた。
心からご冥福をお祈り申し上げます。