再び成田真由美さん講演 (アテネ・パラリンピック ゴールドメダリスト)
10月5日品川プリンスホテルにて
アテネから10月2日に帰国したばかりの成田さんが約束通り、
当社の全体ミーティングで講演をして下さいました。
前日には1日中、テレビ出演もあり、相当疲労されていたにも拘らず、
そのような疲れた様子も全く見せず、非常に明るい笑顔で、感動的なお話の連続でした。
出席した370名程の社員の殆どが涙ぐみながら、熱心に聞き入っていました。
折角の機会なので、明治大学卓球部の学生も、授業にさし障りのない
10数名の選手が参加して聞かせて頂きました。
その中の一部を「今月の言葉」としてご紹介致します。
アテネでは無事七つの金メダルと一つの銅メダルを取ることができました。
ほんとに残念だったのは、自分のライバルだったドイツのカイ選手が
二年前に亡くなってしまって、一緒に泳げないということでした。
でも、いつまでも残念がっていては、カイに怒られてしまうので、気持ちを
切り替えて八種目全て戦い抜くことができました。
私は生まれつきの障害者ではなく、中途障害者です。中学校の一年生までは、
皆さんと同じように元気に小学校に通ってました。十三歳の時に膝が痛み、
やがて両足がまひ。自分の足が治らない事に苛つき、
家族にひどい言葉を投げつけてしまったこともありました。
以後二十回以上の入退院を繰り返し、二十三歳の時、それまで泳いだことの無い私が
水泳を始め、初めての大会で大会新記録を出し、優勝。
しかし、その帰り道、後ろから居眠り運転の車に高速道路で追突事故をもらってしまい、
その事故で首の骨を損傷し、両手が動かなくなりました。右手はしびれたまま、
左手は本当に動かなくなってしまったのです。
障害で失ったものはあります。歩けない、走れない、でもそれは車椅子に
乗ればできること、高いところが届かなくなってしまった。でもそれは皆さんに
声をかけて、取ってもらうことができます。
助け合って生きていくことの大切さを私は病気を通して知ることができました。
障害と病気を与えてもらって、得たもののほうが、たくさんあり、
重たいと思っています。確かに満足に学校には通えなかったと思う。
でも、学校では学べない大切なものを私は学ぶことができたんじゃないか、
と思うのです。得たものを秤にかけることはできないけど、私は得たもののほうが
いっぱいあって、それがとっても重たいんじゃないか、と思うのです。
確かに昔、親に対してひどい言葉を言ってしまったかもしれません。
でも逆に考えて、「あなたの足はもう一生治りませんよ。」と言われた時に、
「ああそうですか、はい、わかりました。」なんていえる人どこにも、いないと思うんです。
人間だから喜怒哀楽があって当たり前、現実から逃げ出したいという気持ちになって、
それは当然のことじゃないかな、と思います。
今、私は足が動かない分、心をふんだんに動かしていきたいって思っています。
皆さんにお願いしたいことは、それは皆さん一人一人の意識を変えてほしいということです。
建物にエレベーターやスロープを作るとか、そういう事には全てにお金がかかってしまいます。
でも、皆さんの意識を変えることってお金は一円もかかりません。
皆さんひとりひとりが考え方をちょっと変えてもらえば、もっともっと住みやすい町に
なるのではないかな、って私は思っています。
これから生きていく中で自分の障害が障害になる時って必ず来ると思うのです。
でもここまでくることができたから、何だかこれからも乗り越えられるんじゃないかなっていう、私の中ではそういう気持ちを持っています。
ここまでくるのに、私の身近にいる人、または私の知らないところで
私の為に努力してくれた人、応援してくれた人、支えてくれた人、
本当にたくさんの人達が支えてくれたから、今私はここに生きているって思うんです。
でも、自分がされるばかりではよくありません。もちろん、サポートしてもらうことも大切です。でも、されるばかりではなくって、私も泳いだり、自分が出来ることをしていきたいです。
自分の障害に甘える、それだけはしたくない。出来ない部分だけの手助けを
皆さんにお願いしたいな、と私は思っています。
誰かとしゃべっていたり、接している時間が大好きで、私は人間が大好きです。
いつも、その人のいい部分を見ていきたい・・・と思ってます。
人と接触しているとき、その場面、場面でパワーをもらってます。
目標に向かって歩いている自分が好きで、しんどい練習の時でも、
コーチの怒鳴り声の中で努力している自分が好きです。
自分が好きになれることも幸せではないかと思ってます。
私は物ではなく、仲間が好きで、すばらしい仲間に囲まれて幸せです。
今回も又我々に勇気を与えて下さった事に感謝感謝です。