「今が一番ええ 」「今」この瞬間の尊さ  (清水寺、森清範貫主 御法話から)

2004/10/01

先代の貫主で大西良慶和上が百歳を過ぎてから、
ノーベル賞受賞者のパールバックさんが、清水寺にお越しになられたことがございました。その時にパールバックさんが、
「一生を振り返られて、いつのころが一番良かったとお思いでしょうか。」
と質問されたのです。
すると和上は、「そうやなあ、今が一番ええなあ。」と言われました。
それを聞いて、びっくりしたのです。
誰が見ても、今はいいことはないのです。
体は思うように動きませんし、耳は聞こえないし、目も白内障で見えしません。
それでも、「今が一番ええ。」とおっしゃるのですね。
これは、パールバックさんを諭そうと思って言わはったわけでは、決してなくて
本心から、「今やなあ。」と思っておられたのです。
今というのは、まさにこの一瞬です。
そしてこの一瞬に私達の命があると思います。
私の人生はこうやった、というのは、この一瞬一瞬の積み重ねの結果なのです。
ですから、今いるところで喜べることや感謝できることを見つけないような、
この一瞬をおろそかにする、生き方をすれば、充実した過去が出来ていかん
ということになります。
そして、長い長い人生の出発点となるのが、今なのです。
瞬間瞬間の積み重ねで出来た時間の中で、
今、というこの瞬間に、全ての出発点があるのです。
良慶和上は、あらゆるものが一体となっているこの今が、何よりも大切や、
と常日頃から思っておられたので、
「今やなあ。」とポッと口をついて出てきたのではないでしょうか。
二度と帰ってこない、この瞬間、この命を、大切にしないといけないと、
つくづく思うわけでございます。
仏教では生死一如と言いまして、生と死は一つのものだと考えております。
本来は生死一体なのです。
死ぬからこそ、今生きている命が尊いのではないでしょうか。
いずれ死んでいくけれど、今こうして元気に生きている。
だからこそ、この一日、今この瞬間が尊いのだと思います。
西洋には「人が意識を高める時、歳がなくなる。」
という言葉がある。
常に新しく学び、楽しく行い、希望を持って生きることが出来れば、
いつまでも若々しさを保つことが出来る。
永遠の若さを手に入れることが出来る….という話です。
‘97の世界選手権で松下、渋谷両選手の活躍で日本は
14年ぶりでメダルを取り、帰国した。
選手としての年齢から言えば、もうベテランといわれる年代に入った二人は
そろそろ潮時だろうと、いう話が出てくるかもしれない・・・
と思っていた私に対して、
「これからは全日本も狙うし、3年後の
シドニーオリンピックでメダルを狙います。」と言った。
まさに、この二人は、今「青春、真っ盛り」だと思ったことを覚えている。
「青春」というのは、人生のある期間を言うのではなく、
心の持ち方である….といいます。
年齢が若くても心の持ち方が老成している人が多い。
私自身もアテネでの他の競技団体の選手達が必死で努力した結果、
素晴らしく輝いた姿を見て、
卓球だけが取り残されている現状を残念に思い、
今、自分の目の黒いうちに、卓球ニッポンの復活に一役買いたいという
熱意にかられている。
自分でも驚く位気持ちは青春そのものである。
心を生き生きと保っていれば、決して老いることはない。
若さの泉は意識にあるということです。