ありがとう平沼様、本当にありがとう 心の底から感謝申し上げます
我々の現役時代は、卓球部専用の練習場がなく苦労していた。
当時津内口、牧野両先輩が武蔵野市の平沼園という卓球場へ何回も通っているうち、
園主の鶴吉さんと親しくなり、四方山話しに花が咲くようになった。
そして両先輩の卓球にかける情熱に絆されて、卓球台を10台置ける立派な卓球会館を
我々のために建てて下さった。
私達は平沼さんの母屋に寝泊りし、合宿をやらせて頂いたりして
体育会の部らしいチームが形作られていったのである。
以後、選手のため、私財を投じて卓球競技としての本格的な体育館に増改築、
さらに食堂、浴場等を増設、そして遂にはその強化のため、「卓球即生活」という
合宿所まで建設して頂きました。
その後、今日まで平沼鶴吉氏、昇氏二代に亘って半世紀以上もお世話になっており、
1年365日、日常的に私生活のご指導まで頂いたことが、選手の人格形成に
どれだけ役に立ったことか。
卓球部にとって、平沼さんは筆舌に尽くし難い大恩人であります。
私は卒業後も平沼家にちょいちょい、お邪魔して挨拶もそこそこに勝手に居間へ行き、
コタツに入って当然のように、ご家族と共に食事をご馳走になったりし、
昇さんとは実の兄弟のような思いで、今日まで過ごして参りました。
可奈子さんとの結婚式にも挨拶をさせて頂きました。
当初、可奈子さんは、口数が少なく、余り表面に出さないけれど、非常に思いやりがあり、
そして何より誠意がありました。
私たち明大卓球部歴代の選手は皆、兄弟とも親とも思い、家族ぐるみでお付き合い
させて頂きました。私が合宿所へ顔を出したときなど、にっこりとしたあの満面の笑顔は
忘れることは出来ません。
怠けている学生がいると心から腹を立てて叱って頂きました。
「○○君、一生懸命練習しないと、ご両親が可哀相よ。」とたしなめている姿に
私は度々感動しました。
そんな選手が立派に成長する姿を見れば腹の底から喜んで下さいました。
選手にとっては親代わりの姉であり、母親でもありました。
昇さんの人柄と可奈子さんの思いやりに感激し、明大卓球部の卒業生で、私を始め、
家族ぐるみでお世話になった者は数知れません。
インカレで勝ったときなど、夜遅いにもかかわらず、わざわざ駅まで出迎えて頂き、
母屋に食事を用意し、選手達に食べさせて、一緒に喜んで下さいました。
そんなとき、監督、コーチ、部員一同、幸福感で一杯でした。
また、リーグ戦に応援に来て頂いたときなど、学生の試合に感動し、涙を流されている
姿をたびたび拝見しました。
本当に学生達のことを思っていてくれているのだなと感激しました。
長男の久直君の結婚式でも、親子二代に亘ってご挨拶させて頂き、
私にとっては光栄な思い出です。
平沼家の後継者として立派に成長されている姿を見て、嬉しく思っております。
この度、明治大学として西調布に練習場つきの卓球部と硬式庭球部の
共同合宿所の建設が完成し、引っ越す事になりましたが、
平沼園を卒業した何百人という選手、半世紀にわたって大好きな卓球に励みながら
人生の修行もさせて頂いた、平沼園(平沼家)に感謝してもし尽くせない万感の想いが
込み上げて参ります。
卓球界では「明治といえば平沼園」「平沼園といえば明治」としてその名を知らない
全国の卓球人は誰一人としていません。母校に数々の栄光をもたらしてくださった
平沼園は我が明治大学卓球部の原点であり、聖地であります。
ありがとう平沼様、本当にありがとうございました。
心の底から感謝申し上げます。