量は質に転換する
先月号に書いたように、この年(1980年)、卓球部はインカレで奇跡の大逆転を演じ、
明治大学創立100周年に華を添えることが出来た。
しかし、まだまだ本物の強さが備わった訳ではなかった。
(今年の春季リーグと似た状態だったのである。)
そして、秋のリーグ戦に入った。
相変わらず苦しい試合で、殊勲者も入れ替わり立ち替わり….という逆転の連続で、
やっと、春負けて悔し涙を飲んだ中大との決勝戦になった。
その決戦の前夜、練習が終わって、我々指導陣が中大戦のオーダーを検討し、
作戦を練り終えて、夜の10:30頃、練習場に顔を出したところ、
当時三年生の岡部選手が下級生を相手に懸命にスマッシュ練習をやっていた。
9月初旬は夏休み中で、まだ授業はないので、午前2.5時間、午後2.5時間、夜間2時間、ランニングその他の体力トレーニングが1時間…という日課で、それをやり終えた後の貴重なフリータイムの時間帯だから私も吃驚して、「何故こんな時間迄やっているのか。」
と聞いた。
彼は「どうも自分で納得がいかないので、不安だからやっている。」と言うのである。
しばらく見ていたが、肩でも壊したら大変だと思い止めさせた。
その翌日、中大との決勝戦。
2-3で負けているときの6番に、岡部は中大のエース・キャプテンと対戦。
セットオールの19-20でリードされていた。
後1本で春に続いて万事休すである。
しかし、彼はそこから逆転してラストに繋ぎ、ラスト平岡の活躍で逆転優勝したのである。
これは「量が質に転換した」典型的な好例である。
練習量から来る自信が成せるワザであったと、私は今でも確信している。
その頃の明治大学卓球部は「あいつが頑張っているんだ。俺だって負けてたまるか。」
という合宿所内の空気が相乗効果を生んで、プラス・アルファが出ていたのである。
インカレでベンチを暖めていた竹之内や岡部が大活躍をしたのである。
翌年、斉藤清、佐藤真二が入学し、その後数年間、国内で行われた国際大会を含めて、
団体、個人の全タイトルを独占する快挙を成し遂げ、黄金時代が花開いたのである。