第3回 授賞式について
第3回(2020年)未来のいしずえ賞授賞式
2020年2月28日
新型コロナウィルス感染症対策について、厚生労働省など公的機関が発表する最新情報とガイドラインに沿った万全の対策の下、第3回未来のいしずえ 賞授賞式が開催されました。
[スポーツ部門] [医療部門] [保健福祉部門] [教育部門] [社会活性化部門]の各受賞者にKODAMA国際教育財団理事長児玉圭司より表彰状と賞金100万円の目録が授与され、「未来のいしずえ賞」実行委員長コシノジュンコより記念品(トロフィー)が贈呈されました。
「未来のいしずえ」の名にふさわしく、前人未踏の領域で地道な努力を重ねてこられた受賞者の方々の熱い思いがこもったスピーチに、場内は大きな感動に包まれました。
主催者挨拶
今年度の一般財団法人KODAMA国際教育財団は非常に活発に活動させていただきました。
ラオスでは、将来を背負って立つ人材育成を目的とした模範校となる小学校を建設中です。その他には、京都大学の山中伸弥教授率いるiPS細胞研究支援のためのチャリティコンサートや、7歳以下の卓球選手早期育成を目的としたU-7特別強化合宿を実施しました。
そして、この「未来のいしずえ賞」も、当財団のひとつの柱です。
未来に向かって豊かな社会の礎を築くために、人知れず地道な努力を重ねている方々、誰も目を向けてなかった領域に挑戦している方々の功績を讃える国際賞として起ち上げ、3回目を迎えました。
スポーツ部門、医療部門、保健福祉部門、教育部門、社会活性化部門の各部門で、世のため人のため、強い意志をもって努力されている方々を顕彰させていただくことを誇りに思います。
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未来のいしずえ賞 記念品に込めた思い
コシノジュンコ 実行委員長
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未来のいしずえ賞の審査選考について
岡山 慶子 実行委員
各賞発表と授賞式
スポーツ部門 受賞者
成田ヒロ子Hiroko Narita
(パラリンピック競泳金メダリスト〈アトランタ・シドニー・アテネ・北京・リオ5大会に出場し、金メダル15個獲得〉成田真由美さんの母親)
大変すばらしい賞をいただき感謝申し上げます。
私どもはの多くの皆様のお力を借りて、親子ともども前向きに生きることができました。
娘は大嫌いだった水泳のつらい練習に、毎日笑顔で出かけていきました。
そんな娘を見ていられず、何度も「やめたら」と言いましたが、負けず嫌いの娘は「ぜったいイヤだ」と練習を続け、ハラハラしながら見守りました。
娘はパラリンピックという大舞台で日の丸を掲げることができました。
娘の挑戦はまだ続いています。
8月のパラリンピックに出場できるかはまだ決まっていませんが、毎日がんばっています。
これからも多くの方々に支えていただき、共に歩んでいきたいと思っております。本当に今日はありがとうございました。
武藤 芳照推薦人
(東京健康リハビリテーション総合研究所所長、東京大学名誉教授、日本転倒予防学会理事長)
成田ヒロ子さんとは実は今日が初対面ですが、成田真由美さんとは水泳仲間でありまして、まさに「水魚の交わり」と申せましょう。大変長いお付き合いであり、共にさまざまな活動をしてまいりましたので、私は成田ファミリーの一員のつもりでおります。
成田ヒロ子さんをひとことで表すならば、
「人を大切にする」「労苦をいとわない」「心遣いを忘れない」
そういう方です。
頭文字を3つ並べると「ヒ・ロ・コ」となります(笑)。
医療部門 受賞者
高橋 和利Kazutoshi Takahashi
(京都大学iPS細胞研究所 特定拠点准教授)
本日はこのような賞をいただき誠に光栄に存じます。
推薦人の山中先生、河村先生、KODAMA国際教育財団の方々、iPS細胞研究所の方々にこの場を借りて感謝申し上げます。
iPS細胞を作ったのは今から15年前です。正直、よく覚えていません(笑)。日々新しいことに挑戦するつもりで15年間やってきたので、iPS細胞の発見も、15年のうちの「たった1日」と感じています。
今回の他の受賞者の方々、歴代の受賞者の方々は、皆様大変すばらしい功績を残されています。他方、私は、山中先生のご指導を受けてiPS細胞をつくり、その後のiPS細胞を取り巻く環境に教えられてきたわけで、何かを成し遂げたということがなく、他の受賞者の方々とは異なります。
このたびの受賞は、「これからがんばりなさい」という意味だと捉えて、精進していきたいと思います。本日は誠にありがとうございました。
山中 伸弥推薦人 推薦人代理 河村 透 (京都大学iPS細胞研究所所長室長・特命教授)
(京都大学iPS細胞研究所所長、教授)
山中所長の推薦の言葉を読ませていただきます。
「高橋和利君は、私が奈良先端科学技術大学院大学で初めて自分の研究室を持った時の最初の大学院生のうちの1人でした。彼の持つ、失敗することを恐れない強い心と、大胆な発想をすぐに検証する実行力は我々の研究を一気に加速させ、iPS細胞の樹立に大きく貢献してくれました。
もし、高橋君がいなかったら、iPS細胞の誕生は大幅に遅れていたでしょう。
科学を追求する心、研究を遂行する高い能力、そして人間力、すべての面において、彼は私が知る日本人研究者のなかで群を抜いています。
研究室で指導した学生ではありますが、現在も生命科学研究で世界をリードしている高橋君のことを心から尊敬しており、ここに推薦させていだだきます。」(山中伸弥)
保健福祉部門 受賞者
中村 丁次Teiji Nakamura
(神奈川県立保健福祉大学長、公益社団法人日本栄養士会会長)
皆様に心から感謝申し上げます。
私は徳島大学医学部の栄養学科で栄養学というものに出会いました。そこで最初の研究テーマに選んだのがビタミンB6でした。薄暗い実験動物室の中でネズミを飼い、ビタミンB6が欠乏すると肝臓に脂肪が貯まるという事実を世界で初めて発見しました。あるとき、ネズミをゲージから出そうとしたら、やせこけたネズミが私の手のひらでポツンと死んでいったのです。たったひとつの栄養素が欠乏しただけで、ネズミも人も死ぬんだということを私は知りました。そして、この大変な事実を多くの人に知らせたいと思い、研究室から飛び出したのです。
「医食同源」という言葉をつくられた、新宿医院院長の新居裕久先生のもとで3年間修業し、聖マリアンナ医科大学で栄養相談室の看板を掲げました。生活習慣が原因で生活習慣病になるのなら、薬を飲むより生活習慣を改善することが先ではないかと思ったからです。
でも、誰も来ません。たまに来たかと思うと、「眼科はどこですか?」と尋ねられる。院内案内を何年か続けました。1年間に50人くらいしか来なかったのです。
ところが大変奇特な患者さんがいらっしゃいまして、私が言ったとおりに生活習慣を変え、血糖値を下げ、血圧を下げ、中性脂肪を下げて、PRまでしてくれました。この方は銭湯の番台に座っていらしたので、その地域の太った人や血圧の高い人、健康に悩みのある人から相談されるたびに、栄養相談室を紹介してくれたのです。
それからは患者さんが増え続け、1年間に何万人もの患者さんの相談を受けるようになりました。
今、全国の病院で、管理栄養士が1日に数百万件の栄養相談を行い、疾病の予防や治療に貢献しております。そのきっかけを作らせていただいたことを、この賞で評価していただけたことを本当に心から喜んでいます。 日本に栄養学が導入されてから150年が経ちました。
これまでに何度も栄養学不要論が唱えられましたが、今年の12月には日本で栄養サミットが開催されることになっています。世界の重鎮に栄養の大切さを訴える機会が得られたことに感謝して、私のお礼の言葉とさせていただきます。 本当に今日はありがとうございます。
大谷 泰夫推薦人
(神奈川県立保健福祉大学理事長)
今、人生100年時代と言われ、医療の世界においても、食生活や運動など生活全般が重要だという考え方が広がっています。その入口にある栄養学は、かつて医療の本流からは若干離れたところに存在していました。その中で中村先生は栄養学の先駆者として研究を続けられ、栄養学を医療の本流へと導いて来られました。それだけでなく、栄養士という職業の社会的地位の向上に努めてこられました。
そうした積み重ねを経て、神奈川県立保健福祉大学長、そして公益社団法人日本栄養士会会長を務めておられます。
さらに国際的にも大きな貢献をされており、ベトナムをはじめアジア諸国における栄養士制度の設立や国際会議の重鎮として活躍しておられます。
「人知れず」どころか、かなり目立った活躍をしておられるわけですが(笑)、その長年の功績について顕彰いただいたことは、一緒に働く者として大変うれしく思っております。
教育部門 受賞者
故・千住 文子Fumiko Senju代理人 千住明 (作曲家)
(教育評論家、エッセイスト、芸術家3兄妹-千住博さん、明さん、真理子さんの母親)
千住文子の次男、明でございます。今日は本当にありがとうございます。
3きょうだいの先輩として日本の文化を引っ張ってこられたコシノ3姉妹に負けないようにとうちもがんばってきました。
ニューヨークに住む博から、東京からニューヨークに帰るときに隔離されるかもしれないから、代表して行ってきてくれとのメールを今朝もらいました。
今流れている曲は、母に捧げたものです(「Andante ~母・千住文子に捧ぐ」)。
2013年の6月、母は僕ら3兄妹が見守る中で違う世界へと旅立って行きました。
これはそのときの思いを込めた曲です。この曲で僕たちは母を送りました。
母が遺したものは測りしれないものがあります。2013年以前の僕たちは母の分身でした。
博の最初のビルの絵は、母が博と一緒に、どうやったら個性的になるだろうと考えて、庭の柿の木だったかの皮を煎じて、日本画の岩絵具と膠(にかわ)に混ぜて、不思議な化学反応を起こして、なんともいえない色になりました。博と母だけの秘密です。
真理子はバルトークを弾くとき、母から「フィンランドの湖のほとりに妖精が降りてきて不思議なダンスをするんだよ」と一風変わったストーリーを聞きました。そうやって真理子は育ちました。
僕は大河ドラマ「風林火山」のテーマ曲を書くときに、いくつかのデモテープを聴いた母に「馬が走ってない。走らせろ!」と言われ、「どうやって走らせよう」と半日考えて書き直したら、「馬の耳まで見えたよ」と言ってくれました。
そうやって僕たちは、悩んだときは母に相談して、独特な表現に助けられてきました。僕たちにとって母が言うひと言がなにより恐く、物凄い才能があるな、母に何かさせてあげたいなと思っていました。やがて母は本を書くようになりました。
2013年に母が違う世界に旅立って、やっと僕たちは自立して、自分たちの世界をつくることができました。
母と別れたのではなく、それぞれの核になったのです。今も、男の博は「しっかりしなさい」、僕は「どこに行くかわからないから、気をつけなさい」と母から言われ続けてします。真理子は夢の中でときどき母と会っているようです。
今日、母は本当に喜んでいると思います。僕も久しぶりに母のことを思い出して感傷的になってしまいました。
今日は母に捧げた曲をかけながら、母の思い出を話させていただき、本当に光栄です。どうもありがとうございました。
コシノジュンコ推薦人
(デザイナー、JUNKO KOSHINO株式会社)
千住文子さんは天国で大変お喜びになっておられると思います。
経済も大切ですが、日本に一番大切なのはやはり芸術や文化です。
千住家3兄妹はいずれも世界的に有名で、それぞれがちがう分野で活躍しておられるところが魅力的だと思います。長男の博さんは大変素晴らしい日本画家で、次男の明さんは作曲家、日本で一番優れた作曲家だと思います。ヴァイオリニストとして、3兄妹の中でも一番最初に若くして有名になられた真理子さんは、女性の活躍の観点から見ても素晴らしい。本当に三者三様で、お母様がそれぞれの個性を大切に育てられたのだと思います。
うちも3姉妹ですが、3人とも同じ方向に進んでしまい、千住家とはまったく違っているなと、大変羨ましいのです。
今の日本に足りないのは、芸術や文化です。これらの教育に、これからもっともっと力を入れていなければならないと思います。
社会活性化部門 受賞者
大谷 恭子Kyoko Otani
(弁護士、若草プロジェクト代表理事)
このたびはこのような賞をいただき、ありがとうございます。とても感謝しております。
この賞は、私個人ではなく、若草プロジェクトにいただいたと思っております。
若草プロジェクトについて、少しだけ紹介させてください。
今日、この会場に来て、真っ先に目に留まったのがミモザの花です。ここ数十年、私は春にミモザが咲くのを楽しみにしてきました。3月8日は国連が定めた「国際女性デー」ですが、この日にヨーロッパの女性たちがミモザの花を掲げてデモをすると聞いて、なんと素晴らしいことだろうと思いました。女性たちが花を掲げてデモをする心意気を、私はずっと胸に刻んできました。
けれども、国連が2012年に新たに「国際ガールズ・デー」を設けたとき、私にはその意図がわかりませんでした。国際社会が、女性の問題に取り組むだけではなかなか手が届かない、少女たちの尊厳と人権という問題に気づき、意識的に取り組もうとしているのだとわかってからも、開発国の問題だなと思っていました。
でも、少し経ってから、「あれ?日本の少女たちは安全で安心な環境にいるのだろうか、彼女たちの尊厳と人権は守られているのだろうか」と見回すと、本当に危機的な状況にあることがわかったのです。
少女たちの尊厳と人権を守ることは、開発国の問題ではなく、私たちの国の問題だということに気づいた私たちは、5年前に若草プロジェクトを起ち上げさせていただきました。悩み相談やシェルターの運営のほかに、心ある企業のご支援をいただいて、全国の養護施設に、少女たちの衣類や妊娠検査薬や医薬品などを届けるなどの活動をしております。
まだまだ始まったばかりですが、本当にやることが多すぎて、どうしようかと思う日々です。
本日いただいた賞金もありがたく私たちの活動に使わせていただきます。
推薦人の岡山さんが言ってくださったように、「少女が世界を変える」。少女が元気でなければ、社会は元気じゃないのです。女が元気でなかったら、いわんや少女が元気でなかったら、日本の未来はないと思います。ぜひ少女が元気になるように、私たちの活動を応援してください。
この栄えある席で、若草プロジェクトを紹介させていただき、本当にありがとうございました。これからは、みなさんと共にやっていけると、この日を励みに活動を続けさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。本当にありがとうございました。
瀬戸内 寂聴推薦人
(作家・僧侶、若草プロジェクト代表呼びかけ人)
「少女たちが世界を変える」というのは、2011年に国連が10月11日を「国際ガールズ・デー」に定めたときのスローガンです。
大谷さんは今まで一貫して人権に取り組んでおられました。そして、この国連のスローガンを実践しようということで、若草プロジェクトを起ち上げられました。この未来のいしずえ賞に本当にぴったりの方がいらっしゃると、うれしく思って、大谷さんを推薦させていただきました。
瀬戸内寂静さんが推薦のメッセージをお寄せくださったので、それをお読みします。
「大谷恭子さんは、永山則夫氏や重信房子氏などの重大事件を担当してこられた弁護士です。また、女性や障害がある方など、社会的に弱い立場にある方の地位向上に一貫して努めてこられました。5年前、SOSを心に抱えた若年女性を支援する団体「若草プロジェクト」を村木厚子さんと立ち上げ、活動されており、私も、呼びかけ人として参加しています。少女たちを取り巻く問題に正面から向き合い、多方面から支援を行うため、日々尽力されています。勇気と信念をもって、社会から切り離されてしまった人々に寄り添いつづける姿勢に、尊敬の意を込めて、ここに推薦いたします。」(瀬戸内寂静)
岡山 慶子推薦人
(株式会社朝日エル会長)
各部門受賞者
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スポーツ部門
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医療部門
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保健福祉部門
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教育部門
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社会活性化部門
授賞記念パーティ
来賓のご挨拶
河村建夫氏
(衆議院議員、元内閣官房長官、現自由民主党地方創生実行統合本 部長)
受賞された皆さん、誠におめでとうございました。 3回目のいしずえ賞授賞式にお招きいただいて光栄に思います。
私は卓球がご縁で児玉さんとは親しくさせていただき、第1回目から出席させていただいております。今回の5人の受賞者のお話は非常に感動的で、含蓄に富み、それぞれのお話が物語になっていました。いしずえ賞ならではの素晴らしい授賞式になったと思います。一般的に顕彰制度は、一つの括りで行われるものが多いが、このいしずえ賞は分野の違う精鋭の方々が集まり素晴らしいこの賞がこれからも続いて、社会の励ましとなり、ますます大きく花開いていくことを祈っています。
乾杯
コシノジュンコ実行委員長
千住3兄妹のコラボによるアルバム「senju plays senju~Four Seasons~」 (作曲、プロデュース:千住明、ヴァイオリン:千住真理子、アートワーク: 千住博)が会場を彩りました。
受賞者の関係者の方々のメッセージ
社会活性化部門 受賞者
成田真由美さんNarita Mayumi
(パラリンピック競泳金メダリスト)
私が人前で話をすることはあっても、母が人前で話をするのは初めてのことだったので、ハラハラドキドキ、手に汗を握りながら聞いていました。私は両親に対して迷惑ばかりかけてきたのですけれども、母は一番の味方で、優しさと愛情をいっぱい注いでもらって成長してきました。大嫌いだった水泳がちょっとしたきっかけで大好きに変わり、パラリンピックに5回参加することになりました。8月のパラリンピックへの参加はまだ決まっていませんが、出場できるとすれば50歳での参加となります。
今、目の前にある、できることに喜びを感じ、やる前からあきらめることだけはしたくないと思っています。パラリンピックは終わりではなく、パラリンピックを機に、もっともっとバリアフリーを進めて、障害者のことを身近に感じていただけたらと思います。
私がメダルをもらっても、私を育ててくれた親が表彰されるのは初めてのことです。児玉理事長、コシノ先生、本当にありがとうございました。
これから年老いていく母に精一杯の親孝行をしたいなと思っています。 おかあさん、これからも長生きしてください。
児玉 圭司Kodama Keji
(株式会社スヴェンソンホールディングス代表取締役会長)
成田真由美さんとは1996年のアトランタオリンピックでご縁があり、親しくさせていただいております。 真由美さんの言葉をひとつご紹介させてください。
「私は障害と病気を与えてもらったから、本当にいろんなことに感謝できる人間になれたと思う。
明るく前向きにこれからも生きようと思っている。
暗く生きるのも自分。明るく生きるのも自分。
だったら明るく生きたい。くよくよしてなんかいられない。
自分にまだやれることってあると思う。残された可能性に挑戦してみたい。
失ったものを数える人間より、得たものを数えられる人間になりたい。」
彼女と会っていると、こんなふうに感動を呼ぶ素晴らしい言葉が次々と発せられます。素晴らしい人です。だから私は真由美さんが大好きです(笑)。
黒田早千水(さちみ)さんKuroda Satimi
(中村丁次氏のお嬢様)
本日はお招きいただきありがとうございます。
中村丁次の娘で黒田早千水(さちみ)と申します。
普通の主婦の私をこんな華やかな席に連れてきてもらえて、父にはとても感謝しています。
私が子どもの頃、父はとても忙しくて、家にはほとんどいませんでした。
栄養指導をしてもらったことなんて一切ありません(笑)。
この健康なからだをつくってくれたのは、母がつくってくれた、栄養バランスのとれた食事だったと思います。
これから私も、父の本を読んで、娘たちにおいしいごはんをつくっていくのが、普通の主婦としての役目だと思っております。
本日はありがとうございました。
牧田史(あや)さんMakita Aya
(若草プロジェクト理事、事務局長、弁護士)
私は若草プロジェクトの事務局を務めております。また弁護士として大谷と同じ事務所におりますので、大谷の人柄について少しお話しします。
若草プロジェクトは設立以来、「少女に信頼される大人になるための研修」を行っています。
大谷はまさにこの「少女に信頼される大人」だなと日々感じています。
シェルターにいる少女たちは皆「大谷さん、大谷さん」と、大谷と会うのを楽しみにして、LINEでやりとりをしています。
大谷が彼女たちに信頼されるのは、やはり、彼女たちに徹底的に寄り添うからです。
少女たちと同じ目線に立ち、同じように怒りを感じ、同じように喜びを感じる。そういうことを大切にしているから、信頼されるのだろうなと思います。
私も、大谷の受賞を励みに、この活動を通じて、よりたくさんの方に「少女に信頼される大人」になっていただける機会をつくっていけたらと思っています。
本日はどうもありがとうございました。
ディルク・ファウベル 氏
(一般財団法人KODAMA国際教育財団 評議員)
ドイツからやってきましたファベルと申します。
この賞はほんとーにユニークだと思います。どうしてかと言うと、スポーツと医学と教育が、同時に対象となる賞というのは、他に例がないからです。
しかし、人間の努力やすばらしい功績に、分野の違いは関係ありません。
そのような意味で、このイベントは興味深く、国際的にも参考になると思います。
今日はおめでとうございます。
中締めの言葉
鳥飼 重和 氏 (「未来のいしずえ賞」実行委員)
毎年この授賞式に来ておりますが、今日はこれまでで一番素晴らしい会でした。
毎回だんだん素晴らしさが増して、いしずえが築かれているような感じがいたします。
いしずえと言えば「君が代」の「さざれ石の厳となりて」を連想します。小さな石が集まって、大きな岩、いしずえとなります。
ラグビーのジャパンチームは、2015年と2019年の2回、日本で一番大きなさざれ石がある宮崎県日向市の大御(おおみ)神社に参拝して、チーム一丸となることを祈願し、昨年は見事にベスト8の快挙を成し遂げました。
今日は、本当に、このいしずえとなる素晴らしい方々にお揃いいただき、誠にありがとうございます。
私はそろそろ引退しようと思っていましたが、50歳でパラリンピックに挑戦する方がいるのだから頑張らなきゃいけないと思わせていただきました。他にも素晴らしい方ばかりで、同じ弁護士でもこんなに違うのかと感じ入りました(笑)。
これからも、この未来のいしずえ賞が、ますます素晴らしい方々を発掘して、日本全体の元気を取り戻すことを祈念し、皆様に感謝を申し上げます。